Part3の主人公はクライン伯爵、ウルリヒ・フォン・ヴァイマール2世です。先代の長男でドイツ・カソリック系の人物です。能力的には……かなりあれな方(6/5/5/5)です。先代と比べると本当にどうしようもありませんが、先代が残した有能な家臣たちがいますのでなんとか切り抜けられます。
情勢は今までドイツ皇帝傘下にあったケルンテン公爵家でしたが、なぜか独立したところです。
情勢は今までドイツ皇帝傘下にあったケルンテン公爵家でしたが、なぜか独立したところです。
時は1092年4月5日、新しく党首の座に着いたのはウルリヒ2世だった。私は彼の世話係兼見張り役として長く付き従ってきたが、彼ほど当主になってはいけない人物はないと確信したことは、一度や二度ではない。
1092年11月、いつもより早い冬の到来に城内は慌しかったが、それでも事件という事件は起きなかった。起きたといえばアドルフ様がストレスを抱えているということぐらいであった。そんな中での冬を前にしたマッテオ・ボローニャ行政官様との食事会を開いたウルリヒ様であったが、どうやら成功に終わったようだ。彼はウルリヒ様の義父であり、この成功によって深い友好を得たようである。これらの小さな一歩が必ずや当家の繁栄に繋がると私は信じている。
翌年93年の2月にはヤコプ様がお生まれになった。さらに翌年には面白い事件があった。ご嫡男であるボゴリス様はやや大人しい性格であったが、あるとき暗闇を恐れているところをウルリヒ様に見られてしまったのだ。まだ2歳のボゴリス様へウルリヒ様は
「暗闇を恐れるとはなんと嘆かわしい、お前はこのクライン伯爵家を継ぐ人間であるぞ!」
と言ったのです。それは無茶ではと申し上げたが、ボゴリス様はそれを乗り越えこの頃より勇敢な領主への片鱗を見せるようになったのだ。
その後94年には昨年お生まれになったヤコプ様の死去、ボゴリス様の病とあまりいい年とは言えなかったが、それでも戦火を被るよりはマシだとウルリヒ様は悠然と構えておいでだった。この頃からだが先代の非嫡出児であるハルトマン様が政務には関わっていない。幾年にも渡る激務と周りからの言われなき中傷を受けたことによる心労で、先代死去の前には気がお触れあそばされたとも聞いている。

95年にはボゴリス様が肺炎にかかってしまわれたり、ハルトマン様がさらに精神をお病みになったりと、本当にとんでもない1年となったわけだ。さらには翌年には先代の奥様が宮廷を去りたいというという申し出があった。このときばかりはウルリヒ様も狼狽したといわれ、結局残ったわけだ。その後公爵家に異変があったのか、新しい君の元で忠誠を誓ってくれるか? と使者が来た。
これについての廷臣会議が開かれた。意見は多岐にわたっていたが、東方から来るポーランド王国に対する態度だけは一致していた。かつては中央欧州に覇を唱えていたドイツ帝国は今や昔、独力で戦うにはあまりに小さいクライン伯爵にとっては大きな国王を頂く必要があった。これによって独立後ポーランド王国に服属するか、それともケルンテン公爵に義理を果たした上で進言し続けるかの二者択一となった。最終的には様子見を決め込むこととなり、忠誠を果たすこととなった。
99年、ついにハルトマン様が行方不明となった。後の話ではロンバルディア公爵領へと行ってしまわれたらしい。信仰による意見の相違ではあったが、完全に正気を逸してしまわれた上に異教に世界へ踏み入れたハルトマン様にとってはこの宮廷はすでにいる意味の無い場所だったのかもしれない。しかしその後風の噂として聞いた話では、隣国のヴェローナ伯爵領にいるという話が聞こえてきたのを境に、秘密裏にハルトマンはどうしている? と使者をよく出していたのを覚えている。
その後いくつか身内内に不幸があった。まずウルリヒ様の弟君であるポッポ様のご息女、ギセラ様がお亡くなりになった。さらにはアドルフ様が近年は数年置きに何かしらの病気を患っていた。それと……師弟に対してウルリヒ様が……あぁー……色々したと噂が立ち教会の査察を受け入れることになったぐらいだろうか。それは……真実ではない、ということになっているので、これ以上何もいえない。
1101年1月、いつものように冬の山の中へ狩りにいったウルリヒ様であったが、さすがは先代のご子息、噂には聞いていたが”可愛い娘”に手を出してしまったという噂が宮廷内を駆け巡った。さしもの奥方様も一昨年に喧嘩をなされておいでであったため、手近にいた兵士を連れて迎えにいったというのは有名な話である。しかしさすがにホンの数ヶ月前に教会の査察を受けている伯爵は、この劣情に耐えたということが分かり、奥様もご安心となったようである。この一族にこの話は付き物ではないかと諦めの感はある。
しかし1ヵ月後、友好国へ出向いたときには”ちゃんと”娘との甘い会話を楽しみになったのは言うまでもない。これによりインスブルック領の執事ソフィ殿との友情を育まれた。
領内に目を向けると漁港が完成したり、国内の当地が上手くいっていることにより安定が高まっていた。外交面ではビザンツ帝国が一時押されていた対イスラム戦争では巻き返しており、一時ではあるが小康状態がアナトリア全土に広がっている。

(矢印があるポイントは、概ねそこあたりまで昔はイスラム軍が来ていたということです。現在はそれが飛び地となって存在しています)
さて、1102年10月であるが、ついに我が領にも動員命令が届いた。恐れていたことが遂に来たのだ。ただこのときは動員されたはしたものの、実戦を経験することなく公爵領などの防衛となった。その為すぐに動員は解除された。翌々年には赤字財政に喘ぐ我らにとって嬉しいニュース、レンガ工場が完成したという報がはいった。そしてこの年にはさらにアンコーナ伯爵領主様とビンヒルデ様とのご成婚があり、領内には活気が満ち始めていた。しかしその後の出産によって落命したため、一時の幸せをかみ締めたに過ぎなかったのかもしれない。
もう一つニュースがあるとすれば、それはウルリヒ様のご友人であるインスブルック伯爵様が君主に対して謀反を起こすというものであった。それぞれ違う君主であるので直接の被害はないものの、付け入るチャンスである。向こうは伯爵を一人片付けるだけで済む話を勝手に大きくされ、最悪ケルンテン公爵家との全面戦争になる可能性もあるわけだ。オーソドックスなシナリオがあるとすれば、介入の条件として領土の一部の割譲してもらい、残りはインスブルック”公爵”として統治する、そんなところだろう。
ただウルリヒ様は国庫逼迫につき支援は行えないだろうと告げた。しかし謀反に対する理解を示したことにより友好は深まった(+25)。この頃よりハルトマン様を失ったセシリエ様は次第にウルリヒ様との距離を置くようになった。そして1105年に宮廷を後にした。その後ハルトマン様と同じ隣国へ仕官なされたと聞いている。
その後残されたヨハン様(ハルトマンの息子)の奥様探しは難航したが、ついにイタリア南部のシチリア王家家臣、バーリ伯爵家の参謀との結婚が決まった。当初ウルリヒ様は有能なヨハン様のことだからすぐに見つかるだろうと楽観視していたが、まさかシチリア王国にまで足を運ぶとは思っていなかったと回想している。
同年05年には成人されたジェラルド様(ポッポの長男)が、長年空席となっていた教区長に就任された。これによりフルメンバーとなったクライン伯爵家であったが、まだまだ収入は少なく動員できる兵も少なかった
06年、念願の奥様であったはずのブランシェ婦人(夫:ヨハン)が病没した。同年にペストがイストリアに襲ったが、クライン地方では収まっていたため深刻なダメージではなった。そしてヨハン様に新しい奥様が到着したのだが……これはウルリヒ様としても苦渋の決断だったと思われる。それはその相手が”クロアチア王国”の家臣からだったからだ。クロアチア王国は、長年のクライン及びイストリア伯爵家の仮想敵、ライバルであるからだ。それは脇においておき、奥様は父君はフランス系、母君はノルマン系と言うこの地方では一風変わった血縁の方だった。
07年9月にベルンハルト様ご誕生、翌年08年4月にリュドゲール様(4つ下の弟)死去、翌月にはフェルディナント様がうつ病を発症、8月にはジェラルド教区長が疫病を貰い、翌年3月には死去……と慶事はあったものの、やはり不幸が多いのではないかと感じた。そして1111年には遂に先代の奥様ゾフィア様がお亡くなりになった。ウルリヒ様とはやや仲たがいをなさっていたという話もあるが、伯爵領を支えた一人であることは疑いようもない。
1112年、ウルリヒ様はお一人で考え事をすることが多くなられた。何かを決断する必要に駆られていたと私は直感した。そしてある夜にヨハン元帥をお呼びになった。
「ヨハン、かけなさい」
「ははっ。……叔父君、どのようなお話でしょうか……」
「……フゥ、私は一つ気がかりなことがある、何か分かるか?」
「恐れながら……クロアチア王国の動向で御座いましょうか?」
「それもあるはある。我らが奴らの領土の一部を得る権利を持っているからな、それに向こうも我々を快くなど思ってはいない」
ヨハン元帥はしばらく問題はなんなのか考えていた。それをただじっと見守っているウルリヒ様は、かつてのハルトマン様のように、父親のような顔であった。
「ヨハン、我が軍の兵力はいかほどだ?」
「2500ほどにございます、歩兵が主たる兵で、数は1200ほど。騎士は300ほど集まると思われます」
「父君が仰った、東から黒いおぞましい者達がやってくると……」
「ポーランドに御座いましょうか?」
「私もそうだと考えた。だが実際ポーランド軍は西進の具合は芳しくない。たしかに強国ではあるが……何か違う気がするのだ。もっと大きな……そう、大きな何かだ」
ウルリヒ2世は自分自身もその正体は掴めていないが、東方の彼方より恐ろしい何かがやってくるとお考えでいた。そして……
「ヨハンよ、私はこの伯爵家が安泰であればそれでよい。しかし東方よりとてつもない悪魔の軍団が来るとしたら、2500で足りるとは思っていない」
「ははっ、日ごろの勤め至らぬが為……叔父君には」
「いや、そうではない。お前はよくやっている。しかしその手の問題ではない、実際戦をするには兵がいる、金がいる。そのために私はある一手を行使しようと思っているのだ」
「……といいますと……」
逡巡した後ヨハンはウルリヒにこう告げる。
「叔父君、私は叔父君の決断に付いていく所存でございます。しかしそれは……自殺行為ではないかと」
「案ずるな、奴らの本土はあそこではない。それにあそこにいる伯爵どもはまともに兵を準備するだけの余力はないことはすでに調べてある」
「な、なんと……」
「恐らくはまともに兵を用意できるのは、タラント伯爵本人ぐらいだろう。その他の連中には用はない。我々が欲しているのは、タラント伯爵領唯一つだ」
「シチリア王家はどうなりましょう?」
「来るなら踏み潰す、こちらは全兵力を動員し叩くだけだ。案ずるな直にわかるだろう。そなたにはイストリアの部隊を率いてもらうぞ」
「ははぁ!」
こうしてウルリヒ2世は、将来のその”黒くおぞましいもの”に対抗するだけの国力を得るべく、念願の外征へと出ることになった。こうしてクライン及びイストリア伯爵領の存亡を賭けた、タラントの戦いが始まるのであった。
第二章 第一幕 〜ウルリヒ2世と平和なる伯爵領〜 完
1092年11月、いつもより早い冬の到来に城内は慌しかったが、それでも事件という事件は起きなかった。起きたといえばアドルフ様がストレスを抱えているということぐらいであった。そんな中での冬を前にしたマッテオ・ボローニャ行政官様との食事会を開いたウルリヒ様であったが、どうやら成功に終わったようだ。彼はウルリヒ様の義父であり、この成功によって深い友好を得たようである。これらの小さな一歩が必ずや当家の繁栄に繋がると私は信じている。
翌年93年の2月にはヤコプ様がお生まれになった。さらに翌年には面白い事件があった。ご嫡男であるボゴリス様はやや大人しい性格であったが、あるとき暗闇を恐れているところをウルリヒ様に見られてしまったのだ。まだ2歳のボゴリス様へウルリヒ様は
「暗闇を恐れるとはなんと嘆かわしい、お前はこのクライン伯爵家を継ぐ人間であるぞ!」
と言ったのです。それは無茶ではと申し上げたが、ボゴリス様はそれを乗り越えこの頃より勇敢な領主への片鱗を見せるようになったのだ。
その後94年には昨年お生まれになったヤコプ様の死去、ボゴリス様の病とあまりいい年とは言えなかったが、それでも戦火を被るよりはマシだとウルリヒ様は悠然と構えておいでだった。この頃からだが先代の非嫡出児であるハルトマン様が政務には関わっていない。幾年にも渡る激務と周りからの言われなき中傷を受けたことによる心労で、先代死去の前には気がお触れあそばされたとも聞いている。

95年にはボゴリス様が肺炎にかかってしまわれたり、ハルトマン様がさらに精神をお病みになったりと、本当にとんでもない1年となったわけだ。さらには翌年には先代の奥様が宮廷を去りたいというという申し出があった。このときばかりはウルリヒ様も狼狽したといわれ、結局残ったわけだ。その後公爵家に異変があったのか、新しい君の元で忠誠を誓ってくれるか? と使者が来た。
これについての廷臣会議が開かれた。意見は多岐にわたっていたが、東方から来るポーランド王国に対する態度だけは一致していた。かつては中央欧州に覇を唱えていたドイツ帝国は今や昔、独力で戦うにはあまりに小さいクライン伯爵にとっては大きな国王を頂く必要があった。これによって独立後ポーランド王国に服属するか、それともケルンテン公爵に義理を果たした上で進言し続けるかの二者択一となった。最終的には様子見を決め込むこととなり、忠誠を果たすこととなった。
99年、ついにハルトマン様が行方不明となった。後の話ではロンバルディア公爵領へと行ってしまわれたらしい。信仰による意見の相違ではあったが、完全に正気を逸してしまわれた上に異教に世界へ踏み入れたハルトマン様にとってはこの宮廷はすでにいる意味の無い場所だったのかもしれない。しかしその後風の噂として聞いた話では、隣国のヴェローナ伯爵領にいるという話が聞こえてきたのを境に、秘密裏にハルトマンはどうしている? と使者をよく出していたのを覚えている。
その後いくつか身内内に不幸があった。まずウルリヒ様の弟君であるポッポ様のご息女、ギセラ様がお亡くなりになった。さらにはアドルフ様が近年は数年置きに何かしらの病気を患っていた。それと……師弟に対してウルリヒ様が……あぁー……色々したと噂が立ち教会の査察を受け入れることになったぐらいだろうか。それは……真実ではない、ということになっているので、これ以上何もいえない。
1101年1月、いつものように冬の山の中へ狩りにいったウルリヒ様であったが、さすがは先代のご子息、噂には聞いていたが”可愛い娘”に手を出してしまったという噂が宮廷内を駆け巡った。さしもの奥方様も一昨年に喧嘩をなされておいでであったため、手近にいた兵士を連れて迎えにいったというのは有名な話である。しかしさすがにホンの数ヶ月前に教会の査察を受けている伯爵は、この劣情に耐えたということが分かり、奥様もご安心となったようである。この一族にこの話は付き物ではないかと諦めの感はある。
しかし1ヵ月後、友好国へ出向いたときには”ちゃんと”娘との甘い会話を楽しみになったのは言うまでもない。これによりインスブルック領の執事ソフィ殿との友情を育まれた。
領内に目を向けると漁港が完成したり、国内の当地が上手くいっていることにより安定が高まっていた。外交面ではビザンツ帝国が一時押されていた対イスラム戦争では巻き返しており、一時ではあるが小康状態がアナトリア全土に広がっている。

(矢印があるポイントは、概ねそこあたりまで昔はイスラム軍が来ていたということです。現在はそれが飛び地となって存在しています)
さて、1102年10月であるが、ついに我が領にも動員命令が届いた。恐れていたことが遂に来たのだ。ただこのときは動員されたはしたものの、実戦を経験することなく公爵領などの防衛となった。その為すぐに動員は解除された。翌々年には赤字財政に喘ぐ我らにとって嬉しいニュース、レンガ工場が完成したという報がはいった。そしてこの年にはさらにアンコーナ伯爵領主様とビンヒルデ様とのご成婚があり、領内には活気が満ち始めていた。しかしその後の出産によって落命したため、一時の幸せをかみ締めたに過ぎなかったのかもしれない。
もう一つニュースがあるとすれば、それはウルリヒ様のご友人であるインスブルック伯爵様が君主に対して謀反を起こすというものであった。それぞれ違う君主であるので直接の被害はないものの、付け入るチャンスである。向こうは伯爵を一人片付けるだけで済む話を勝手に大きくされ、最悪ケルンテン公爵家との全面戦争になる可能性もあるわけだ。オーソドックスなシナリオがあるとすれば、介入の条件として領土の一部の割譲してもらい、残りはインスブルック”公爵”として統治する、そんなところだろう。
ただウルリヒ様は国庫逼迫につき支援は行えないだろうと告げた。しかし謀反に対する理解を示したことにより友好は深まった(+25)。この頃よりハルトマン様を失ったセシリエ様は次第にウルリヒ様との距離を置くようになった。そして1105年に宮廷を後にした。その後ハルトマン様と同じ隣国へ仕官なされたと聞いている。
その後残されたヨハン様(ハルトマンの息子)の奥様探しは難航したが、ついにイタリア南部のシチリア王家家臣、バーリ伯爵家の参謀との結婚が決まった。当初ウルリヒ様は有能なヨハン様のことだからすぐに見つかるだろうと楽観視していたが、まさかシチリア王国にまで足を運ぶとは思っていなかったと回想している。
同年05年には成人されたジェラルド様(ポッポの長男)が、長年空席となっていた教区長に就任された。これによりフルメンバーとなったクライン伯爵家であったが、まだまだ収入は少なく動員できる兵も少なかった
06年、念願の奥様であったはずのブランシェ婦人(夫:ヨハン)が病没した。同年にペストがイストリアに襲ったが、クライン地方では収まっていたため深刻なダメージではなった。そしてヨハン様に新しい奥様が到着したのだが……これはウルリヒ様としても苦渋の決断だったと思われる。それはその相手が”クロアチア王国”の家臣からだったからだ。クロアチア王国は、長年のクライン及びイストリア伯爵家の仮想敵、ライバルであるからだ。それは脇においておき、奥様は父君はフランス系、母君はノルマン系と言うこの地方では一風変わった血縁の方だった。
07年9月にベルンハルト様ご誕生、翌年08年4月にリュドゲール様(4つ下の弟)死去、翌月にはフェルディナント様がうつ病を発症、8月にはジェラルド教区長が疫病を貰い、翌年3月には死去……と慶事はあったものの、やはり不幸が多いのではないかと感じた。そして1111年には遂に先代の奥様ゾフィア様がお亡くなりになった。ウルリヒ様とはやや仲たがいをなさっていたという話もあるが、伯爵領を支えた一人であることは疑いようもない。
1112年、ウルリヒ様はお一人で考え事をすることが多くなられた。何かを決断する必要に駆られていたと私は直感した。そしてある夜にヨハン元帥をお呼びになった。
「ヨハン、かけなさい」
「ははっ。……叔父君、どのようなお話でしょうか……」
「……フゥ、私は一つ気がかりなことがある、何か分かるか?」
「恐れながら……クロアチア王国の動向で御座いましょうか?」
「それもあるはある。我らが奴らの領土の一部を得る権利を持っているからな、それに向こうも我々を快くなど思ってはいない」
ヨハン元帥はしばらく問題はなんなのか考えていた。それをただじっと見守っているウルリヒ様は、かつてのハルトマン様のように、父親のような顔であった。
「ヨハン、我が軍の兵力はいかほどだ?」
「2500ほどにございます、歩兵が主たる兵で、数は1200ほど。騎士は300ほど集まると思われます」
「父君が仰った、東から黒いおぞましい者達がやってくると……」
「ポーランドに御座いましょうか?」
「私もそうだと考えた。だが実際ポーランド軍は西進の具合は芳しくない。たしかに強国ではあるが……何か違う気がするのだ。もっと大きな……そう、大きな何かだ」
ウルリヒ2世は自分自身もその正体は掴めていないが、東方の彼方より恐ろしい何かがやってくるとお考えでいた。そして……
「ヨハンよ、私はこの伯爵家が安泰であればそれでよい。しかし東方よりとてつもない悪魔の軍団が来るとしたら、2500で足りるとは思っていない」
「ははっ、日ごろの勤め至らぬが為……叔父君には」
「いや、そうではない。お前はよくやっている。しかしその手の問題ではない、実際戦をするには兵がいる、金がいる。そのために私はある一手を行使しようと思っているのだ」
「……といいますと……」
逡巡した後ヨハンはウルリヒにこう告げる。
「叔父君、私は叔父君の決断に付いていく所存でございます。しかしそれは……自殺行為ではないかと」
「案ずるな、奴らの本土はあそこではない。それにあそこにいる伯爵どもはまともに兵を準備するだけの余力はないことはすでに調べてある」
「な、なんと……」
「恐らくはまともに兵を用意できるのは、タラント伯爵本人ぐらいだろう。その他の連中には用はない。我々が欲しているのは、タラント伯爵領唯一つだ」
「シチリア王家はどうなりましょう?」
「来るなら踏み潰す、こちらは全兵力を動員し叩くだけだ。案ずるな直にわかるだろう。そなたにはイストリアの部隊を率いてもらうぞ」
「ははぁ!」
こうしてウルリヒ2世は、将来のその”黒くおぞましいもの”に対抗するだけの国力を得るべく、念願の外征へと出ることになった。こうしてクライン及びイストリア伯爵領の存亡を賭けた、タラントの戦いが始まるのであった。
第二章 第一幕 〜ウルリヒ2世と平和なる伯爵領〜 完



実際ここまでは内政の日々でした。跡継ぎ問題などもあるはありましたが、、そんなことよりもせいぜい集まっても2500ではどこと戦うんだ? と言う話でしたから。とりあえず分かってほっとしたのは、うちの領土に対する要求を誰も持っていなかったことですね。血縁内だけで保持し続けられたのは良かったです。おそらくこの頃で一番兵力を持っているのはビザンツ帝国、次にポーランドで、前者が約8万程度(またはそれ以上)、ポーランドも同程度だと思われます。
この時代を考えると、イタリアを制する者が欧州を制する感じがするので、初の外征となります。尚更新が非常に芳しくないのですが、次回以降はかなりカオスな展開になります。私もここまでなるとどうしていいか分からないというのが本音です。